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『春を呼ぶ風』

image1.JPG高山美智子さんの第三歌集『春を呼ぶ風』を紹介させていただきます。
今年1月の出版なので、会員の皆様の多くはすでにご存知のことでしょう。
皆様の感想と比較していただくのも良いかなと思い、改めて今になってのご紹介です。
前回とりあげた高山邦男さんの歌が内面追求型なのと比較すると、高山美智子さんの歌は、日常の現象をあるがままに受け容れる姿勢が特徴といえるでしょう。
どの歌を読んでも清流のせせらぎを聞いているような感じがします。
何かに突っかかったり、言い澱んだりというところがありません。
歌集の初めのほうの作品と終わりでは十年が経っているのですが、主たる舞台は高山家の庭です。
庭を訪れる季節を淡々と写生していく歌の間に、夫の病状や自身の体調の変化などがさらりと挟まれてゆきます。実際は波立つ感情の起伏があるのでしょうがことさら強調する態度は見受けられません。
季節の変化とともにを自分たちが受ける変化も享受する、観察者高山美智子は自然と一体化した境地に達しているのだと思います。

目つむれば針鼠のごとく丸まりて宙を転がるわが姿見ゆ
風のなき庭にちひさき風おこしるりしじみ飛ぶ菜の花の上
庭に立つ我は一輪の花にあらむ黄の蝶ふたつふはりと寄り来
月光を独り占めして真夜の庭に踊り出でたる何者かあらむ


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インソムニアのご紹介

image1.JPG高山邦男さんの待望の歌集『インソムニア』ができました。
あちらこちらからいい評判が聞こえてきて嬉しいです。
さまざまな個性的表現を競う現代短歌。
時代の流れというのは誰もが意識せずにはいられないものですが、高山さんの歌は、別の時代に向き合っている印象を受けます。
「我とは何か、わたしは何ものか」という問いを抱えているのです。
それは近代短歌が問い続けてきた重要な問題ですが、近代短歌は時局が変化するたびに、時代のエネルギーにもみくちゃにされ、百年・百五十年とたつうちに、いつの間にか我に向きあう時間も、内発的な問いかけを発することも少なくなったように感じます。
近代短歌の先端に現代短歌があるとして、たくさんの支流の一つに過ぎなくなっている問題を、高山さんは仕事や肉親との関係を通して追求しています。

大口さんの丁寧な解説もついていて、多くの人に読んでもらいたい歌集です。

わたしのお気に入り一首は次の歌「ひとり帰る家路にわれは宥されて西日隈なくわが裡照らす」


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